東京工業品取引所において軽油の上場が廃止されるようだ。9月の理事会で承認されたあと来年春に正式に廃止となる。数えるほどの取組高と、片手に入る出来高では上場廃止は時間の問題であったといえるであろう。
なぜ上場廃止に至ったのかを考える必要がある。失敗から学ぶべきことは多い。私には市場関係者には「石油製品ならば人気が出るだろう」といった、おごりともいえる短絡的な考えがあったのではと思えてならない。
日本の商品先物市場参加者の大多数は個人である。取引員に限らず、取引所もその手数料収入を生業としている以上、顧客である個人の意向は無視できるものではない。
にもかかわらず、上場を検討する委員会はどちらを見ているかというと、現物を扱う企業を見ているように思えてならない。もちろんそれが商品取引本来の機能であることは言うまでもない。しかしながらNYMEXにおいて実際の原油量を数倍上回る取引がされ、世界経済が注視している現状を見れば、市場という機構においては投資家の呼び込みが必須であることは明白ではないかと考えるのである。
中部商品取引所が東京工業品取引所に続く取扱い数量を誇る理由はその上場商品の明瞭さと、投資単位の低さによる個人投資家の資金流入の結果であることは明らかである。ガソリン、灯油といった個人の生活になじみがある商品に加え20倍という倍率はハイリスク・ハイリターンとは一概に言うこともできず、中流を自負する個人にも充分対応できる商品である。中部商品取引所においても軽油は不調であるから、一概には言えないが、少なくとも個人投資家の呼び込みには「商品としての魅力」と「投資倍率の低さ」という両方が必要なのであろうことは容易に推測できる。
もう一度自分達の足元を見てみる必要がある。日本全体の商品取引の委託者の数は12万人である。ネット証券評議会の資料によると、ライバルであろうと思われる株式の信用取引口座数はインターネット証券会社だけで18万口座、証券市場全体を見てみると、その口座数は180万である。口座数と人口なので単純比較はできないが「たったの」12万人である。
たとえば物を売ろうとするとき、どうしたらお客様に喜んでもらえるかを考えるのは当たり前である。東京工業品取引所をはじめ商品取引業界全体が顧客、つまりは一個人というものを軽視していたのではないか?(個人の取り込みという点では冷凍えびは明確な狙いがある商品だった)
証券会社はミニ株をはじめ、手数料の引き下げなど、個人の顧客を取り込む努力を怠らなかった。商品取引ではタブーとされる女性の参加者へのアピールも忘れなかった。どれほど個人の投資家が増加したとしても、その運用額など法人のそれに比べればたかが知れているのにである。
それに対し商品市場はどうであったか?イメージアップにばかり注力し、顧客に対するサービスの充実、魅力的な商品開発という基本的な姿勢を怠ってはいなかったか?
売上が会社を、市場を大きくするのではない。顧客が会社を、市場を大きくするのである。
私達は「世界一やさしい上品先物取引入門」という記事をこのWeb上で連載している。私達はこの連載の目標を「商品取引に興味を持ってもらうこと」としている。商品取引の取引自体が持つ複雑さは宿命である。ただし基本がわかれば商品市場が持つ「人間的な魅力」は証券市場の比ではない。上場されているものは普段の生活に密着した商品ばかりなのであるから。
一般常識のある大人であれば先物取引が何であるかは「なんとなく」知っているものである。そのなんとなくという「グレー」の状態が「わかった」といわなくとも「なるほど」になればいいのである。興味がわけば人間の本能は「もっと詳しく知りたい」と欲求するように必ずなる。あいまいなものをあいまいなままにしておいては個人は絶対に消費しない。事実、株式を行っている人は決してやさしくもない専門誌を購読し、お金を払ってセミナーに参加する人さえいるではないか。
取引の外部にいる人間として、投資単位の再考を提案する。金の1000倍は個人には荷が重い。改定されたとはいえゴムの5000倍は論外に近いものがある。商品市場の魅力に加え、取引員の手数料収入といったものを考えても十分考慮に値するはずである。
もう一度自分達の置かれている状況を見つめなおそう。そして、裏返しで考えることにしよう。日本の委託者数は「まだ」12万人である。伸びしろは充分すぎるほど有している。
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