少し古い話になってしまうが、最後の大型商品といわれたコメの上場が不認可となった。
取引所をはじめ、一種の取引起爆剤と見ていた業界内のショックは相当なものであったと思われる。商品取引員ならほとんどの会社で「商品先物の起源は大坂堂島の米市場」の説明をしていることであろう。「おそらく大丈夫だろう(上場の認可がされるであろう)」と思われていただけに、その決定には私も正直言って驚いた。「堂島市場の復活」はならなかった。
ご存知の通り、世界で最初の本格的な(クリアリングハウスの機能さえ持った!)商品取引所が大坂堂島の米市場である。簡単ではあるが大坂堂島の取引所について説明を掲載しておきたい。(「世界一やさしい先物取引入門」のボツ原稿になってしまうが・・・)
世界初の取引所・・・・ |
商品先物取引に関するいろんな文献を読んでみると、商品取引所の発祥はベルギーのアントワープであるとの記述が多く見られます。
アントワープには1531年に穀物や香辛料を取引する先物市場が成立していますので、世界初の先物市場であることには間違いありません。(現在のアントワープはダイヤモンドの現物取引と世界最古の動物園で知られています)
しかしながら、このアントワープも、1569年に成立したロンドンの先物市場も厳密には「先渡し市場」であり、現在のような「現物受渡しのない」「差金決済」を行った先物取引所は1730年に成立した大坂堂島の取引場であるといわれています。
その後1848年に成立するシカゴ商品取引所も、成立当初は先渡し取引が行われていました。 |
全農の反対は予想できた。なによりも「コメ」という穀物はつい10年前まで政府の管理下にあった商品である。
冷静に考えてみよう。その割合が下がりつつあるとはいえ、この穀物はこの国の主食である。日本全国の取引所で決して少なくない種類の商品が上場される中で、主食である商品が上場されていない状況はやはりおかしいのではないか?主食だからこそ慎重に取り扱うべきだという意見ももちろんある。しかしながら、曲がりなりにもこの国は自由主義経済である。一部の人間がその価格を決定する(恣意的にといっても過言ではないであろう)現状は果たして本当にあるべき姿であろうか?
今回の不認可による、(私が考える)もっとも大きな問題点は、業界関係者と一般の人達のコメ上場に関する意識ギャップである。はっきり言って今回の騒動は「内輪受け」であり「内輪もめ」であり「獲らぬ狸の・・・」である。暴言と思われるかもしれないが、この意識ギャップ、つまりは商品先物市場に関する一般の人々の意識を上げることができなければ、永久にコメの上場は不可能であろう。上場不認可の際の大臣の発言がそれを象徴している。
商品先物取引業界には単なる啓蒙活動ではない、より多くの人を(もちろん良い意味で)巻き込むような活動が必要になるのではないかと考えている。 |